「お兄ちゃん、でも帰るって、どうやって?」
「タクシーでも呼ぶさ」
言って、背を向けて歩き出そうとする。その背に右手を伸ばすツバサ。
「お兄ちゃん、私」
もう、会えないのだろうか? これでお別れなのだろうか?
なんとか引き留めたいとは思いながらも言葉の浮かばないツバサの視線を感じ、魁流はしばらく躊躇した。やがてゆっくりと振り返り、そうして、ポケットから携帯を取り出す。
「お前も出せ」
「え?」
言われて目を丸くする。そんな妹に嘆息。
「赤外線」
「え?」
「番号だよ。アドレスと」
しばらく絶句。
「お兄ちゃん?」
戸惑いながら、だが慌てて携帯を取り出す。赤外線で交換する。
「お兄ちゃん」
嬉しさと混乱とで、頭がグチャグチャになる。そんな妹の頭の上に、魁流はポンッと手を乗せた。
「必要もないだろうが、会いたいというのなら会ってやる。話くらいは聞いてやるさ。兄だからな。まぁ、もっとも」
携帯をポケットに突っ込み、手を引いてクルリと身を翻す。
「俺なんかよりもよっぽど頼りになる奴が、お前の傍にはいるみたいだけどな」
蔦と向い合う。
「大した騎士だ」
途端、ツバサは頬を紅くする。
「お前には、恐れ入るよ」
「彼氏として当然」
恥かしがりもせずに堂々と言ってのける。その姿に、魁流はそっと唇を噛んだ。
俺にもこれくらいの強さがあったなら、鈴は死なずに済んだのかもしれない。
その言葉は胸の奥へと仕舞い込み、ゆっくりと、今度は霞流慎二へ顔を向ける。
「女は嫌い、か」
言いながら、その出で立ちの上から下までを眺める。
「俺も変わったが、お前も変わった。お互い、女には縁が無いな」
「無くて結構」
「俺は少し、変われるかもしれない。だがそれは、お前のお陰じゃない。だから礼は言わない」
「言われたいとも思わない」
「そのワリには、お節介だったな」
慎二の表情が、微かに歪む。
「ずいぶんと、いろいろ諭してくれた」
「気付かないお前が、見ていてウザかった。それだけの話だ」
つまらなさそうに答える相手に、魁流は苦笑する。
「お前も、変われるといいな」
フンッと鼻を鳴らす相手に魁流は微かな笑みを浮かべ、そうしてゆっくりと立ち去っていった。
これで、よかったのだろうか?
事の顛末を呆然と見ていただけの美鶴。聡と瑠駆真などは、結局何だったのかと途方に暮れている。
私たち、そもそもここに居る必要があったのだろうか?
涼木魁流の消えた方角を見遣りながら、彼の、すこし呆けたような表情を思い浮かべた。
もともと、怠惰な一面はあったのかもしれない。だが、それでも、織笠鈴がそばに居れば、彼の人生はもう少しマトモだったのではないかとも思う。親の言いなりになりながらも、病院を継ぐべく医学部へと進み、獣医を目指した織笠鈴と、充実した学生生活を送っていたのかもしれない。
どちらが、よかったのだろうか? むしろ、親元を飛び出すきっかけになったのだから、これでよかったのだろうか?
だが、たとえこれで涼木魁流が少し変わったとしても、その傍に、織笠鈴はいない。彼を取り囲む世界が元に戻る事など無い。
ふと、病院で寝ている同級生を思い浮かべた。
小童谷陽翔は、瑠駆真の母が死んだ後、どのような思いで生きてきたのだろうか?
そっと横の瑠駆真の顔を覗き見る。だが、その顔は闇夜に紛れて、表情はよくはわからない。
人が死ぬって、どういう事なんだろう?
考え込んでしまった美鶴の後ろから、少しネチっこく潜ませた声。
「本当に饒舌だったわよね」
「え?」
驚いて振り返る。いつの間にか、ユンミがすぐ後ろに立っていた。ラメの入った紫の口紅が悪戯に瞬く。
「慎ちゃんよ」
顎で慎二を指す。
「あんなに口数の多い慎ちゃん、初めて見た」
「あ、それは私も」
美鶴も同じ事を思っていた。
涼木魁流を前にして、相手の言葉をも遮ってまで語る彼の姿には、正直驚いた。
「霞流さん、人が変わったみたいだった」
人が変わった? 戻った?
「ホントね」
「どうしてだろう?」
右手を胸に当てて首を傾げる美鶴。そんな彼女の背後で、ユンミは曖昧に口元を歪めた。
「さぁ、どうしてでしょうね?」
そんな二人を笑うかのように、冷たくて、でも少しだけ緩んだ風が、金糸を悪戯に舞い上げた。
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